物理学会誌 11月号 861 (2015)                    Home

Samuel Frederick Edwards教授を偲んで

        北京航空航天大学 土井正男

           Tribute to Professor Sir Sam. Edwards,  Masao Doi


イギリスの物理学者の サミュエル フレデリック エドワーズ(Samuel Frederick Edwards)教授が201557日に亡くなられた。彼は、統計物理、ソフトマター物理を中心に、物理学の様々な分野に新しい問題と新しい方法を持ち込み、その後の発展の礎となった多くの仕事をしてきた(文献1参照)。

 

Edwards1928年にウェールズのスワンジーに生まれた。ケンブリッジ大学在学中に奨学金を得てハーヴァード大学に移り、シュヴィンガー(Schwinger( ファインマン(Feynmann, 朝永とともに1965年にノーベル賞受賞)のもとで博士号を取得している。その後、プリンストンの高等研究所を経て、1953年にイギリスバーミンガム大学の講師となった。このころの彼の関心は、場の理論の様々な分野への応用にあり、固体の電気伝導理論、ランダム系の電子状態、乱流の統計理論などの仕事を行った。1963年には34歳の若さでマンチェスター大学の理論物理学講座の教授となった。

 

マンチェスター大学で、彼は化学者のジー(Gee), アレン(Allen)らと出会い、高分子に興味をもつようになった。1965年に高分子についての最初の論文を発表し、高分子の問題に、経路積分の方法が使えることを示した。つづいて1966年には、高分子溶液に対して場の理論を展開し、相関効果の重要性を示した。問題設定の新しさと理論的手法のユニークさは読む者に衝撃を与えた。これらの華麗な理論展開の一方で、Edwardsはゴム弾性という古典的な問題に興味を持ち、二つの重要な仕事をした。一つは、架橋というゴム特有な系の統計力学を扱う方法としてレプリカ法の考案である。この仕事は高分子コミュニティではほとんど注目されることはなかったが、同じ方法をスピングラス系に適用したエドワーズ・アンダーソン(Edwards-Anderson)の論文はこの分野の古典となった。もう一つの仕事は管模型の発明である。この仕事は、ドゥジェンヌ(de Gennes)によるレプテーション理論を経て、絡み合いという高分子物理における長い間の未解決問題の解決へとつながった。これらの仕事は、1960年代の停滞感のあった高分子物理に刺激を与え、ソフトマター物理のという学問分野の創成につながるダイナミックな発展のきっかけとなった。

 

Edwardsは学問の世界だけでなく、科学行政にも積極的に加わり、科学評議会議長(1973-1977)、エネルギー省の首席科学顧問(1983-1988)など数多くの政府の要職をつとめた。また、王立協会、物理学会副議長、数学会副議長などの学術会議のトップの仕事もつとめた。デービー賞(イギリス化学会)、ボルツマン賞、ディラック賞など数多くの賞を受賞している。1975年にはイギリス王室よりSirの称号を与えられている。

 

私は、1976年から78年までポスドクとしてEdwards先生のもとで研究する機会に恵まれた。Edwards先生は政府の重要な仕事をしいるということは聞いていたが、偉い先生であるということを知ったのはずっと後になってからである。エドワーズ先生に最初に会ったときには、彼は科学評議会の議長というたいへん忙しいポストにあったが、会うとすぐさま、紙をとりだして、その時興味を持っている問題を絵入りで説明してくれた。会議テーブルのあるオフィスの黒板には、論文で見慣れた式が書いてあった。Edwards先生は忙しいので会えるのは2か月に1度くらいであり、問題が難しいので、何の成果もないままに彼と会わなくてはならないこともあった。けれど、Edwards先生は私の進捗を聞くというよりは、彼の思い着いたこと、考えたことを話はじめてくれた。彼の中には、こんこんと湧き出る知的な泉があり、その水を惜しみなく分け与えていてくれたような気がする。彼と会った後は、いつもある種の知的なエネルギーで満たされているのを感じた。今にして思えば、そういう気持ちにさせてくれる人はとてもつもない知的パワーと包容力を持った人であると思う。

 

Edwards先生が口癖にしていたことは、「最初の仕事をやれ」ということである。現在あるフィールドのなかで縄張争いをするような仕事ではなく、未開のフィールドを開拓する仕事をやれということである。誰も考え付かなかった問題、誰もやったことのない問題であれば、少々難があっても、しばらくは注目されることが無くても、論文としてかならず価値が出て来ると言っていた。彼は、素粒子物理からスタートしたが、物理学者が手を付けなかったような高分子、コロイドなどの分野にも物理の問題があることを示した。彼のスピリットは若い人に受け継がれて、今日のソフトマター物理分野の底流を形づくっている。稀有な知的パワーを持ち、学問と行政の世界で挑戦を続け、その一方で、学生やポスドクには包み込むような優しさを持って接してくれた先生であった。心からご冥福を祈る。

 

Stealing the Gold, edited by P.M. Goldbart, N. Goldenfeld and D. Sherrington, Oxford 2004.